平凡で凡人の日記

極めて普通のブログです。面白おかしく日々の出来事を綴ります。

寒い

かなり寒い日が続いていて朝起きるのがとても苦痛である。

 

1月2月はほぼすべての日が寒く気温の寒暖差が見られないので寒いは寒いものの体が寒さに順応するのでそれほど嫌ではないが、3月は暑い日もあれば寒い日もあるといったように気温の寒暖差が激しいのですぐ体調を崩してしまう。

 

自分は冬が大っ嫌いである。もちろん寒いという物理的な問題もあるがそれよりも大きな事がある。冬は日の出の時間が短いのですぐ日が暮れる。自分はもう一つ夜が嫌いで心の気分がすごく暗くなってネガティブな感情になってしまうからである。ネガティブな感情は体にすごく害を与えてうつ病を引き起こす原因になるそうである。

 

それに比べて夏はとても好きで一番晴れやかな気分でいられるような気がする。汗をかいて服がベトベトになる感覚はとてもいきているんだなあと思わせてくれる。自分は野球を小中高すべてやっていたので夏のシーズンはずっと野球をしていたのでとても楽しかった思い出がある。また大自然の山でキャンプファイヤーや海での海水浴など子供時代にわくわくした記憶が今でも残っているということが大きいような気がする。

 

もうすぐ4月になるので早く暖かくなってほしいなと思う。

将棋

自分の昔からやっている趣味の1つに将棋がある。

 

小さいころ近所のおじさんや子供たちと、近くにある公園の木の陰のベンチでよく将棋を打っていた。駒の動かし方などをおじさん達から教えてもらって実際に対局していた。最初はなかなか勝てず悔しい思いをしていたが、その時からなぜ勝てないのかと分析を試みた。人が打っている将棋を観察したり、本屋さんなどにいって将棋の本を読み漁ったりして考えた。すると自分はなぜ勝てないのかを主観的ではなく客観的にわかるようになった。そして理解できた自分がまける理由を改善するように努めた。すると簡単に勝てるようになった。今までまったく歯が立たなかったおじさん達にも楽勝に勝てるようになった。その時自分は天才なんじゃないかななんて馬鹿なことも思った。そして公園では敵なしになりもっと強い人と将棋を打ちたいと思うようになり、街から遠く離れた将棋道場に行った。将棋道場にはいろんな年齢の子供がいてみな真剣に将棋を打っていた。自分も打ちたいと思いそこにいる子供達と打った。3人の子供たちと対局したがすべて自分の惨敗だった。所詮井の中の蛙であったと思い知らされた。世界は広くそして深いんだなと感じた次第であった。

高校野球の球数制限について

今日行われたセンバツ高校野球一回戦「滋賀学園」対「東海大市原望洋」の一戦は手に汗握る好ゲームだった。

 

東海大市原望洋のエース金久保投手と滋賀学園の背番号10番棚原投手の延長14回までの投げ合いは素晴らしかった。しかしどちらのピッチャーも200球近くのボールを投げていた。丁度同じ時間帯にwbcの日本対アメリカが行われていたがwbcには球数制限のルールがあり100球程度を目途にピッチャーの降板を義務付ける決まりがある。これはピッチャーの肩は消耗品であり投げすぎによる怪我を防止するために存在している。

 

球数制限はアメリカで最初に導入されたルールで日本にはまだ馴染みがないが、ピッチャーの分業制の考えを取り入れており先発、中継ぎ、抑えとピッチャーを繋いでいくことで球数を投げないでいいようにするものである。しかしそれはピッチャーの数が潤沢にあるプロだからできることであり高校野球に導入することができるかといえば微妙だと思う。地方から優れたピッチャーを取り込める強豪私学がますます強くなり、地元の公立高校によくある絶対的エースがいるチームはかなり厳しい戦いになるだろうと考えるからだ。しかし200球は誰がどう見ても投げすぎだと思うので監督などはぜひしっかり考えてもらいたいなと思った。

センバツ高校野球 1

2017年センバツ高校野球大会が現在進行形で行われている。

 

 

私は小学校までソフトボールをやっていて中学校から地元の硬式クラブチーム、高校では硬式野球部に入っていて過去がありかれこれ12年間、野球をやっていた生粋の野球少年である。すべて所属していたチームは強いチームではなかったので全国大会出場などの輝かしい成績はないがそれでも日々どうやったらうまくなるかを考えながら練習に励んでいた。幸い12年間スタメンですべての試合に出ることが出来たのでそこは非常に自分のかけがえのない財産になっていて今の自分の自信につなっがている。

 

所属していたチームすべてにおいて共通していた点は監督やコーチの厳しさがあった。

いわゆる昔の根性、気合、精神がすべてといった根性論を振りかざすタイプの人たちだった。至極合理的である自分はそのような非論理的な教えに常に反発していて幾度となく衝突した。こういう性格は10数年たった今でも決して変わっていない。

甲子園を見てて思うのは高校生のレベルの高さがあげられる。僕の時代は140キロがでるピッチャーがいれば世間が大騒ぎしていた時代だが、今はそこらにいるピッチャー程度の評価にすぎないような気がする。

野球

今野球が日本では熱く取り上げられている。

 

wbcなどの国際競技大会も非常に盛りあっがていたり、センバツなどの高校野球も大々的にテレビなどで取り上げられている。

 

野球のどこに魅力を感じるかをふと考えた時がある。野球という競技にはあって他のスポーツなどの競技にはないものとは何かと思ったからである。その中で自分が下した結論の1つに「個」の目立つ回数ではないかと考えた。あくまで球技に絞って他のスポーツと比較してのことである。ラグビーやサッカー、バスケットボールやバレーボールなどは比較的試合が行われているフィールド全体に視野を向けることが多いなと思った。あくまで俯瞰的な見方をするスポーツである。これは逆に個が目立ちにくいということでもあるかなと思った。それに対し野球はピッチャーが投げるときはピッチャーに注目するしバッターが来た球を打った時はバッターに目線が集まるだろうしその打った打球が飛んで行ってそのボールを取りに行った守備にまた目線が集まるといったことである。1つ1つのプレーが細切れで映画のシーンのように見ることが出来るのである。

また得点などの入り方も独特で面白い。ヒット一本だけでは何点入るかわからないからだ。

私は本が好きだ。

 

本は自分の価値観や考え方を大いに変えてくれる素晴らしいツールだと思う。そんな素晴らしいツールを1000円ちょっとで購入できるコスパも素晴らしいなと感じる。

 

大昔の偉人やとてつもない頭を持った現代人など生きた時代に関係なくありとあらゆる人たちの思考を習得できるということは素晴らしい事であると考える。今日本と呼ばれるものは大量生産されていていつでも本屋に行けば気軽に購入できるが大昔は本はとても貴重で一部の富裕層しか読むことが出来ない代物であった。本を持っていることはすなわち「知」を持っていることと同義だった時代であった。しかしその後文明も開化していき「印刷」という素晴らしい技術が開発され一般庶民にも広く知れ渡るようになり様々な場所で知の共有が行われていった。誰でも平等に知識を習得できるようになっていった。

 

私は自他ともに認める凡人であるが、こういう優秀な人たちのモノの考え方などを知ることが出来るのは非常によいことだと思っている。今まで読んできた本はすべて自分の記憶のなかに入っているので非常に生きていくのに役立っていると思う。これからも本はたくさん読んでいきたいなと思っている次第である。

テレビ

私は最近テレビをみない。

 

高校生ぐらいまでは自分は生粋のテレビっ子だった。お笑い番組などは毎日録画してまで見ていたりしていて翌日学校で昨日見たテレビの話をクラスメイト達とよく話していた。学校から帰ってきてご飯を食べているとき、朝起きて朝ご飯を食べてるときなどは欠かさずにテレビを見ていた。ある種癖のような感じであった。

 

しかし社会人になり一人暮らしをするようになりテレビを部屋に置かなくなった。昔まではテレビでしか情報を得られない時代であったがいまやスマートフォンタブレットなどの電子機器の発達でいつでもどこにいても簡単に情報を得れる時代になった。なのでテレビの必要性に疑問を感じるようになっていった。テレビで放送されて自分が見たいなと思った番組も今やyoutubeなどの動画サイトなどですぐに見ることが出来るようになっている。ある種録画して番組を見ている状況と一緒になっている事実がある。

 

今後ますます日本人のテレビ離れが進んでいくと私は考える。今や現代は消費社会で物が大量生産沙される時代に突入してきていて物がたくさんあればいい時代ではないと考える。これは何も物などの物体だけでなく情報などのモノも同じである。